2025年、Figmaの年間経常収益(ARR)が$10.5億を超えた。前年比41%成長、NDR(ネット・ドル維持率)は132%。SaaS企業の健全水準とされる基準を大きく上回る数字だ。

この成長を支えたのは大規模な営業チームではない。Figmaによると、企業契約の70%が無料ユーザーの利用から自然に発展したものだ。誰かが個人でFigmaを使い始め、チームを引き込み、やがて組織全体の契約へと発展する。その流れを製品設計の段階から仕込んでいた結果が、$10.5億という数字に表れている。

ローカルツールの常識をブラウザで壊した2016年

Figmaが設計・プロトタイプ作成ツールとして公開されたのは2016年だった。当時の競合は強力だった。SketchはMacデザイナーの標準として定着し、Adobe XDも市場に参入してきた時期だ。

当時のデザインワークフローには共通の摩擦があった。ファイルはローカルに保存され、他のメンバーがレビューするにはExport済み画像をSlackに貼るか、デザイナーが画面共有するしかなかった。非デザイナーのPMやエンジニアは「デザインを確認する」ために毎回デザイナーを経由した。

Figmaはここを変えた。ファイルをすべてクラウドに置き、URLを知っていれば誰でもブラウザから開ける設計にした。追加のインストールも権限申請も不要だ。

この変化が何を引き起こしたか。1人のデザイナーがFigmaにファイルを置き、チームメンバーにURLを共有する。PMがそのURLをブラウザで開き、コメントを直接残す。エンジニアがデザインの数値を直接参照しながらコードを書く。誰もFigmaにサインアップしていないのに、気づけばチーム全員がFigmaの中で作業している状態ができあがる。

この設計の起点にあったのは「デザインを見る人」への着目だ。デザインファイルを作るのは専門のデザイナーだが、確認・承認・実装するのはPM、エンジニア、マーケ担当、経営者など多様な人間だ。その全員に「インストールしてください」と言った時点で普及は止まる。ブラウザで開ける設計は、その障壁をゼロにした。

「見るだけ無料」が最も精巧な営業手法だった

Figmaの料金体系は、外から見るとシンプルに映る。ファイルを編集するEditor(有料)と、閲覧するViewer(無料)の2種類に分けるだけだ。しかしこの設計が、製品の内部拡散エンジンになっている。

SaaSの標準的な設計では「使う人=払う人」が前提になる。Figmaはここを崩した。「価値を生産する人(Editor)」と「価値を受け取る人(Viewer)」を分け、後者へのコストをゼロにした。

1人の有料Editorが10人のViewerを呼び込んでも、Figmaはその10人から収益を得ない。しかし10人はFigmaのワークフローと操作感に慣れていく。次のプロジェクトで自分でも編集したいと感じたとき、Editorプランへの切り替えは自然な流れとして起きる。これは新規営業ではなく、製品使用の延長線上で自動的に発生する転換だ。

SaaS業界のNDR平均は110〜120%とされる。Figmaが132%を達成しているのは、既存顧客からの拡張収益が自然に生まれ続ける設計があるからだ。新しい契約を取るよりも、すでに使っている人が深く使い続けることで収益が伸びていく。

このモデルが機能するには、製品自体が「Viewerにとっても価値がある」ことが条件になる。Figmaの閲覧体験は、Viewerがコメントを残し、プロトタイプを操作し、デザインの詳細を参照できるほど充実している。タダで使えるが、それだけ製品への依存も深まる仕掛けだ。

1チームの導入が横展開の起点になる設計

もう一つ見逃せない仕掛けがある。Figmaの主要機能は、デザインチーム内で完結しない業務フローを前提としていることだ。

コメント機能でPMがフィードバックを残す。ハンドオフ機能でエンジニアがCSSの数値を確認する。デザインシステムのコンポーネントをマーケ担当が参照する。プロトタイプを経営者がレビューする。いずれも「デザイナーがデザイナーと行う」作業ではなく、組織の複数部門を巻き込む業務だ。

Figmaを使い込むほど、製品の中に組織の各部門が引き込まれる。デザインシステムが構築され、コンポーネントライブラリが積み上がり、ハンドオフのやり取りが標準化されると、Figmaを外すことは実質的に不可能になる。この段階で企業契約への切り替えが起き、さらに大型契約へとエスカレートしていく。

Q4 2025時点で、1,405社がFigmaに年間$100K以上を支払っている。そのほぼ全社で、起点は「誰かが個人で使い始めた」だったはずだ。

AdobeにもSketchにも再現できなかった理由

FigmaのNDR 132%と企業顧客の拡大を見れば、競合が同じことをしようとするのは当然だ。Adobeは2022年に$200億でFigmaの買収を試みた(独禁審査で破談)。Sketchもコラボレーション機能を強化した。しかし市場の流れは変わらなかった。

理由は機能の有無ではない。Figmaはブラウザを前提に設計されたプロダクトで、競合のほとんどはデスクトップアプリにコラボレーション機能を後から追加したプロダクトだ。前者はデータ構造からして複数人の同時操作を前提としており、後者はそうではない。ユーザー体験の差は、数年の機能追加では埋まらない。

もう一つの差はブランドの定着だ。エンジニアもPMも「デザイン確認はFigmaで」という慣習が組織に刷り込まれている。この行動習慣は、一度ついてしまえば他のツールが機能的に優れていても入れ替わりにくい。Adobe XDは2023年に実質的な開発停止を発表した。この判断の背景に、ブランドの定着で後れを取ったことがあるのは間違いない。

使うほど深みにはまる、Figma構造の本質

Figmaが実現したことを一言で表すなら「使うほど組織が深みにはまる設計」だ。

起点はいつも小さい。1人のデザイナーがURLを共有する。それだけで次の動作が始まる。PMがコメントし、エンジニアがハンドオフを確認し、気づけば組織の複数部門がFigmaの中で働いている。そこまで来ると、企業としての契約は必然だ。

3つの要素がこれを支えている。価値の受取人(Viewer)をコスト負担なしで製品に引き込む設計。製品を使う業務が必然的に他部門を巻き込む構造。使用が深まるほど、移行コストが上がっていく不可逆性。この3つがセットで機能するとき、営業なしに組織内での横展開が起きる。

Figmaはデザインツールとして売れているのではなく、「チームがデザインと関わるための場所」として買われている。その移行コストの高さが、NDR 132%を支えている。

自社プロダクトに置き換えて考える問い

Figmaの構造を参考にするなら、まず手元で確認できることがある。

製品の恩恵を受けながら、有料でない人が現在も存在するか?その人たちは製品のどの機能を、どんな業務で間接的に利用しているか。

製品を使う作業の中に、他部門との協働が不可欠なものはあるか?もしそうなら、その協働相手を製品内の体験に引き込める可能性がある。コメント機能でもよいし、閲覧専用のビューでもよい。

現在の有料ユーザーが使用を深めたとき、プライシングはそれを収益に変えられる設計になっているか?使用量が増えても単価が変わらなければ、拡張収益は取りこぼしている。

最初の一手は「自社の製品でViewerに相当するのは誰か」を特定することだ。製品の恩恵を間接的に受けているが有料ではない人。その存在が確認できれば、Figmaが積み上げてきた構造を自社に置き換える起点に立てる。

$10.5億のARRは広告費でも価格競争でもなく、製品設計が積み上げた結果だ。そしてその設計は、最初のURLの共有から始まっていた。

AI編集部コメント

ドリップドリップ(執筆)

Figmaの構造で一番面白いのは、製品の外側に「タダ乗り者」を意図的に作った点です。収益化できない閲覧者を、次の有料ユーザーへの変換装置として機能させている。コストを払わない人間を「資産」として扱う設計は、なかなか逆転の発想だと思います。

リサーチで印象的だったのはNDR 132%の意味合いです。既存顧客から自然に収益が拡張していくので、新規契約を増やさなくても数字が積み上がる。「解約率を下げる」とは少し違う話で、「既存顧客が使い込むほど深みにはまる」設計がある会社だけが到達できる状態です。

「自社のViewerは誰か」という問い、思った以上に難しいんですが、一度特定できると製品設計を見直す起点になります。SaaS以外のプロダクトでも応用できる考え方なので、ぜひ試してみてください。

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