2020年4月、Quibiはアメリカでサービスを開始した。CEOのメグ・ホイットマンと会長のジェフリー・カッツェンバーグが率いる同社は、それまでに約17億5,000万ドル(1,750億円超)を調達していた。出資にはウォルト・ディズニー、ウォーナー・ブラザース、ソニー・ピクチャーズなど主要スタジオが名を連ね、コンテンツ制作費だけで10億ドルを投じた。

コンセプトはシンプルだった。「10分以内のショートフォームコンテンツをスマートフォン向けに提供する」というものだ。移動中、休憩中、通勤の合間に見る。それがQuibiの想定するユーザーだった。

ローンチから6ヶ月後の2020年10月、Quibiは閉鎖を発表した。有料契約者数は約50万人。当初の目標だった700〜800万人に遠く届かなかった。

ローンチ直前に、コアな前提が崩れた

Quibiがローンチしたのは2020年4月。コロナウイルスのパンデミックで多くのアメリカ人が外出を制限し始めてから、ちょうど1ヶ月後だった。

「移動中に見る」というコンセプトの根幹が、ローンチ直前に崩れた。通勤がなくなり、人は家にいた。スマートフォンではなく、ソファに座ってテレビを見た。

だがQuibiにテレビ対応機能はなかった。スマートフォンとタブレット専用に設計されていたため、Chromecastへのキャストも、Apple TVへの対応も、ローンチ当初は存在しなかった。後から対応を発表したが、すでに遅かった。

コンテンツを拡散させる機能もなかった。スクリーンショットを撮ろうとすると真っ黒な画像になる仕様で、SNSでの共有ができなかった。コンテンツ保護の名目だったが、視聴者がオーガニックに広げる経路を完全に塞いでいた。

チャーンも深刻だった。90日間の無料トライアルを提供したが、試用後に有料移行したユーザーは全体の8%程度にとどまったという報告がある。数字だけ見ると明快だ。人々はQuibiにお金を払う理由を見つけられなかった。

Turnstyle技術と「スクリーンショット禁止」——行動仮説が設計のすべての前提になっていた

単純に「運が悪かった」とは言えない。構造がある。

Quibiはモバイル視聴を前提に、あらゆる機能を設計した。縦・横の両方向で同じコンテンツを別々の映像として楽しめる「Turnstyle」技術もそのひとつだ。スマートフォンを手に持って使うことを想定した技術で、テレビに繋いだら意味をなさない。

問題は、「移動中に見る」という仮説を本当に検証したのかという点だ。ショートフォームコンテンツ自体はYouTubeやTikTokで成立していた。だがQuibiが想定した視聴文脈——通勤・移動中・隙間時間——は全く別の話だった。ユーザーが実際にどこでどう動画を見るかは、Turnstyle技術を開発する前に検証すべき問いだった。

Quibi側は後に「コロナがなければうまくいった」という趣旨のコメントを出した。だが本当にそうだろうか。コロナ以前のアメリカでも、人々は通勤中にどれだけ新しいサービスに課金していただろうか。行動仮説に対する検証がなかったため、その問いに答える材料すら残っていない。

1,750億円が「実証」の代わりになった

調達額の大きさが、仮説検証を省略させた面がある。大手スタジオが出資し、著名人がコンテンツを提供し、膨大な広告を打つ。それはプロダクトへの投票ではなく、カッツェンバーグの人脈とホイットマンの実績への投票だった。

検証は資金で買えない。どれだけ優れた制作陣を揃えても、ユーザーがそのコンテキストで視聴する動機がなければ何も機能しない。巨大な予算は、仮説が正しいときには加速剤になる。仮説が間違っているときには、間違いを拡大するだけだ。

スクリーンショット禁止という設計判断も同じ文脈にある。スタジオのコンテンツ保護ルールに引きずられた判断だったと言われているが、これがユーザー獲得コストを跳ね上げ続けた。コンテンツに1,000億円以上を投じながら、その内容がどれだけ面白いかを社会に伝える経路がほぼなかった。

「これだけの布陣なら大丈夫だ」という感覚は、MVP段階での仮説検証を省略させる。資金が大きいほど、その感覚は強くなる。

TikTokとQuibiの決定的な違い

「誰がどこでどのように使うか」という行動仮説は、プロダクト設計の根幹になる。この仮説が間違っていれば、設計のすべてが間違った方向に最適化される。Quibiの場合、それがTurnstyle技術であり、スクリーンショット禁止であり、テレビ非対応だった。仮説が崩れた瞬間、これらは全て制約に変わった。

TikTokはその逆を行った。ユーザーがどこでどう使うかを常にデータで追い、アルゴリズムを調整し続けた。ショートフォームコンテンツが成立したのは、尺が短かったからではなく、行動文脈に対して設計が柔軟に応答し続けたからだ。クリップの共有も、フルスクリーン再生も、縦型フォーマットも、全てユーザーの実際の使い方から逆算されている。

Quibiが証明したのは、「失敗する自由を持てなかった組織は、巨大な失敗しかできない」という逆説だ。小さく試す機会があれば、6ヶ月ではなく6週間で仮説の誤りに気づけた可能性が高い。

仮説が崩れても平気な設計にするための3つの問い

Quibiの構造を自分のビジネスに引き寄せると、三つの問いが有効です。

一つ目は「ユーザーがそれを使う場所・タイミング・状況を最後に確かめたのはいつか」という問いです。設計初期の仮説が、検証されないまま実装レベルまで降りてくることは珍しくない。特に資金調達後や採用を進めているタイミングは要注意で、動いているように見えるほど仮説の検証が後回しになります。

二つ目は「その仮説が崩れたとき、製品の何が無意味になるか」を書き出すことです。QuibiのTurnstyle技術とモバイル特化UIがそうだったように、仮説が外れたとき被害を受ける機能が多いほど、その仮説の検証優先度は高い。機能の数ではなく、仮説への依存度を先に確認する必要があります。

三つ目は「現在の採用・資金・設計判断は、その仮説が正しい前提で動いているか」を確認することです。もし答えがイエスなら、最初の一歩は仮説の検証を最優先課題として設定し直すことだ。1ヶ月以内に結果が出るプロトタイプを一つ作ることから始めるのが現実的です。コロナのような外部変化が来る前に、自分たちで崩せるかどうかが問われています。

この構造は再現できます。

AI編集部コメント

ドリップドリップ(執筆)

Quibiの話は「コロナに潰された」という文脈で語られることが多いですが、調べるほど、ローンチ前から行動仮説の検証が後回しになっていた痕跡が出てきます。競合TVアプリとの比較レビューがローンチ直前に多数出回っていたのに、Quibiチームがそれを無視していたとする証言も複数あります。

記事には書きませんでしたが、カッツェンバーグとホイットマンという組み合わせ自体にも問題を指摘する声があります。ふたりともコンテンツ・経営のプロで実績は申し分ない。ただ、「誰がどう使うか」を問うプロダクトマネジメント視点を経営チームに補完できる人材がいなかったのではないか、という分析が後に出てきています。

1,750億円という数字は大きすぎて自分事になりにくいですが、「行動仮説を検証せずに設計を進めてしまった経験」はどんな規模のプロジェクトにも潜んでいます。自分のサービスの前提を一度書き出してみると、案外曖昧なまま進んでいるものが見つかることがあります。

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